私たちは何を自由に選択できるのか…

読者の皆様こんばんは。
ダリアログを読んでくださって、ありがとうございます。

本日のデイジーとお散歩中、駅前の宝くじ売り場に少し行列が出来ていました。
前を横切りながら見ると『本日、大安吉日!!』という貼り紙あり。

なるほど、縁起の良い日だから購入者が多いのですね。

宝くじといえば、十年以上も昔に社員旅行で行った御殿場のショッピングモールにて、特に買いたい物が見つからずにウロウロしていたら、宝くじ売り場がふと目に留まり、10枚購入したら1万円が当たりラッキーでした。

後にも先にもこの一度きりで、以降、宝くじは買っていませんが、今年の春には、開運コラムを寄稿していた会員制情報誌の取材で、東京の宝くじドリーム館へ初訪問し、抽選風景を見学しました。

厳かで意外とシュールな雰囲気だったのが印象に残っています。

さて、既にご存知の方も多いでしょうが、私たち人間が生まれてくる確率は、宝くじ1等(5億円)に当選するよりも難しい確率と言われていますね。

宝くじ1等の当選確率は1000万分の1。
精子と卵子が受精卵となって無事に生まれる確率は5億分の1。
(※3億分の1説あり)
世界の人口が65億人だとすると、
1組の男女が出逢い子供が生まれる確率は250兆分の1。

…なんとも、天文学的な確率で生まれてきた私たちはやはり、奇跡という瞬間の積み重ねで存在しているのだと感じますし、この世に産み落とし育ててくれた両親やご先祖様を含む親戚、そして、出逢った全ての方々に感謝せずにはいられません。

(…余談ですが、世界の人口80億人という説は少し懐疑的に受け止めています。その理由や見解は、いつか機会があれば書きますね。)

そんな奇跡の確率で生まれてきた私たちという存在について、改めてカバラを学び直し、知識を詰め込むだけではなく、実践による経験とすり合わせながら、知行合一で学びを深めています。
オーラソーマがきっかけで2004年から学び初めましたが、その教えの意味を知れば知るほど魅力を感じます。

カバラの教えの根底には、一生かかっても探究しきれない、受け取りきれないほどの膨大な創造主の愛と光が常にそこにあるからだと感じています。

先日、『自由選択について』というテーマに基づき、オープンダイアログでシェアした内容をブログ用に改編したので、ここにアップしようと思います。

『生まれてから死ぬまでの全てが、宇宙の源(創造主)の大いなる意志によって定められていて、
その意志に委ねて大きな自由(歓喜の道)を生きるのか、反抗して小さな自由(苦難の道)を生きるのか…、この選択に於いては、私たちは自由に決められると考えます。

私自身が、子供の頃から理由も分からず自由を強烈に求めていて、自由な人生を探求して生きて来た、体験談としてのシェアです。

宇宙の源の意志に委ねるというのは、人生とは自由ではないもなのだと受け入れ諦める事でもありました。

小さくて無力で空っぽの自分でしかないと明らかにして認めること。(…認めるしかないくらいに人生が困窮するまで、認めようとしない頑固者でした^^;)

でも不思議なことに、そうすることによって、結果的には小さくて無力で空っぽの自分の意志では思いもつかない、叶えられもしなかったであろう『自由な人生』が叶っているのです。

それから2年が経ち、今では経済的、時間的な制限をあまり感じることのない、自由な人生が実現したというのが現状です。

結局のところ、弱くて無力な自分は恥ずかしいから隠したいという理由で、小さな自由にしがみつき言い訳にして、様々な制限をかけていたのは自分でしかないんですよね…。

宇宙の源の意志の、無限にある可能性(…のごく一部に過ぎませんが)を、私自身の生き様で表現しながら、そのような生き方を望む方々の手助けが少しでもできるように、今後も精進します。』

(『自由』についてカバラの教えの一部をレクチャーしていただきました。
全ての事は創造主に定められているが、私たちには自分の身を置く環境(自己を高めるのかそうでないか)を選択できる自由がある。そして、環境を選んだらそこに身を置くだけではなく、環境からの自分への影響力を強めるために、環境そのものを強く培う必要がある。自分から環境を強める努力をして、さらに他者を助ける努力をしたり、自分もその環境の一部であるということを意識することが大切。)

環境を選択する自由、とても嬉しく思いました。
やはり、人間も植物も、芽が出て花を咲かせられるかどうかは環境が重要ですよね。
自他ともに切磋琢磨し合い、向上できる環境から学び、
La Museもそのような環境を提供して参りますね。

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